雲海からのご来光

子供について~遺伝病発症前の考え~

授かりものだけど

妻と同棲中に借りていた借家の前にはお寺があり、よく近所の子供たちと会話をしたり一緒に遊んでいたりしていた。

妻も子供が好きで、その子供たちを通じて近所付き合いを円滑に進める事が出来たと考えている。

そういう環境で暮らしていた為、同棲中であっても自然と2人の子供を想像していた。

妻が、そういう段階で私との事をどこまで考えていたのか知る事は出来ないが、私の眼には欲していてくれて居たと信じている。

同棲も後半になると、妊活の様な事を行う訳では無かったが私の中では授かる事も1つのきっかけなのかも知れないという感覚はあった。

五体満足であれば

この時は、遺伝病などと言う考えは微塵もなかったので、友人や周りから聞こえて来る親になる・親になった方々と同様に、もし2人の子供を授かるのであれば五体満足であれば何も望みはないぐらいにしか考えていなかった。

当時の遺伝病や遺伝子検査、出生前診断といった言葉は今以上に特別な物で、普通に生活をしていた私たちの耳には入って来る機会は殆ど無かった。

新聞や報道番組で目にしても、アメリカやヨーロッパの様な自分たちとは遠く離れた異国で起こっている事で、私たちには関係ない物として全く引っかかっていなかった。

この時には、小学校時代に共に過ごした身障者の同級生の記憶も薄れ、子供を授かる=何もなく生まれて来るものと信じていた。今、思えば経験の無さから来る無知ではあるが、悪い事ではないと思う。

ただ、程なくしてこの考え方は甘く、もっと深く複雑に考えなければいけない苦々しい物である事を告げられる。その深みに、今でも頭の先まで漬かって抜け出す事が出来ない。

心の声

・全くではないかな。私は、中学生時代に(今では教えいないらしいですね)メンデルの法則と言うエンドウ豆を使って遺伝の規則性を実証した話しの面白さにのめり込み、担当の先生にお願いして高校で使用する教材を借りて読んでいた。それをきっかけに、植物や微生物の人口培養と応用を学ぶ学校へ進学して、同じ学校に進んでいた妻とそこで知り合った。卒業後は、全く関係ない仕事に就いていた私の前に遺伝病が現れた時、正直「ここか!!!」と思った。

・当然、流産とか子宮摘出なども全然頭になかった20代。

投稿者:

ハンチントン病の介護者

ハンチントン病を発症した妻との約束、【そばに居たい】と言う言葉を胸に約15年の自宅介護を継続中。いわゆる介護鬱にならない様に、心に5段階のスイッチを用意しています。最高?最低?の時は4つ目までスイッチが入った事があります。

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